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04/04 落ち着ける場所 03/03 アポロニウスの円 02/02 終活 01/01 想定外のときの処世術

24/04/04
落ち着ける場所

学校が終わってから,あるいは仕事を終えて自宅に帰ってからホッとする瞬間はどんなときでしょうか?制服から部屋着に着替えたり,ネクタイを緩めスーツを脱いだときでしょうか。あるいはお茶やコーヒーを淹れ,ソファに腰掛けたときでしょうか。個人的には靴下を脱いだ瞬間,今日の仕事から解放されたと感じます。人それぞれにポイントがあることでしょう。やはり自分の家,自分の部屋は何よりも落ち着く場所になるようです。言い古された表現ですが,旅行から帰ったとき「やっぱり家が一番」というセリフはおそらく正直なことばだと思います。

ところが落ち着いて過ごせるはずの家を失ってしまう出来事が続いています。それが災害であったり,争い事に依るものであったりします。地震や台風による災害で住まいを失ったとき,その地に残り復活を図る人も居れば,新たな場所で新たな生活を始める人も居るでしょう。一世代だけで見れば困難な出来事も,幾世代にもおよんで復興する場所もあります。戦争による失われた人やものはいかがなものでしょう。個人では抗うことのできない国と国,国と地域の愚かな争いは,間違いなく人々の安住の地を奪う出来事です。この愚かな行いの繰り返しは,歴史を鑑みると悲しいことかな,途絶えることはないのかもしれません。

小さな世界でも落ち着けるはずの場所が奪われることがあります。身勝手な親の争いによって,本来は安心して過ごせるはずの家が,帰りたくない場所になり得るのです。力のないこどもができることは限られます。我慢して家に留まるか,家を出て他所に頼ることでしょう。その先に何が待っているのか?想像してみてください。そこまでことが重たくなくても,自宅が居心地が良くないこどもも居ます。家族が一緒に住む家は,こどもにとっての一番最初の『社会』で,こどもの性格を形成していきます。こどもは親の鏡という言葉があります。どれくらいの距離を置くか。その距離感が大切で,それを測るもの差しはありません。大事なことは寄り添い思いやることです。事象の大小を問わず,あるいはこどものことだからと軽んじず,想像力を働かせることです。

24/03/03
アポロニウスの円

数学は大きく分けて解析学・代数学・幾何学の3つの分野に分けられます。高校数学では二次関数や三角関数あるいは指数対数関数を中心に学びます。微分積分もこれらの関数の変化や大小関係,面積などを調べます。ベクトルや複素数平面は代数学に分類され,2年前から始まった新課程では,原則理系に進む生徒のみの単元となりました。以前学んでいた行列は大学進学後,主に理工系の学生だけが学ぶようになりました。幾何学は高校一年で少しだけ学びます。量的には中学数学の方が多いのです。ただ,数学が苦手な生徒にとっては角度を求める問題以外は証明が多い印象しか残っていないかも知れません。けれども「数学は苦手だけれども幾何学は好き」と言う人は昔から居ました。

幾何学の中には作図に関する問題があります。「2点を結ぶ線分の垂直二等分線」や「角の二等分線」は定番でしょう。作図は直線を引く定規とコンパス,この2つだけを使って描くところがシンプルで潔いのです。落語家が手ぬぐいと扇子ですべてのものを表現する世界に似ているような気がします。作図には不可能もあります。例えば「角の三等分線」や「円と同じ面積をもつ正方形」の作図などです。これらが不可能であることの証明が,幾何学ではなく数量的な方法で成されているのはちょっとしゃくな気がします。

さて,次のような円の作図問題があります。「2点A,Bから2:1に内分する点Pと外分する点Qを取り,その2点を直径の両端とする円を作図せよ」。この円は『アポロニウスの円』と呼ばれ,古代ギリシャの数学者アポロニウスが考えたとされています。高校数学の「軌跡」の単元に「2点からの距離の比が2:1である点の軌跡を求めよ」という問題があります。生徒は数量的にこの問題を解きます。もちろん正しい解き方なのです。けれどもただ単に計算だけで済ませてしまうところが残念でなりません。アポロニウスの円を用いたほうがよりシンプルで,何を意味しているのかが分かりやすいのです。

アポロニウスの円を用いると次のことが観測できます。「高さ333メートルの東京タワーと高さ634メートルのスカイツリーから333:643の比に内分する点と外分する点を直径とするの上では,二つの塔の高さは同じに見える」。さてにわかに信じられるでしょうか?都内に出かけて確認するまでもなく,慎重150cmと180cmの友達を広場に立って貰い,150cmの人から10m,180cmの人からは12m離れた場所から二人を見てください。2人は同じ身長に見えることでしょう。このことはアポロニウスの円の性質のほんのひとつです。ものごとにはいくつもの側面があるように,さまざまな現象や事実の一面だけを見ていると,視野は狭くなります。ものの見方や考え方には柔軟でありたいと思います。

24/02/02
終活

教室の棚にあった古い教材を整理しました。その教材を作成した先生はかなり前に他界した数学の先生で,教材を作ることに相当量の力を入れていました。時代はまだ手書き教材が主流で,さまざまな教科書や問題集,あるいは入試問題から題材を取っていたようです。手書き特有の温かみを持ち合わせ,重要な箇所には赤い線がサインペンや赤鉛筆で施されてありました。記憶では退職前にそうした教材を整理するのに二か月以上掛けていました。それだけ教材に愛情を抱き,生徒が理解するための工夫をしていたのが見て取れます。

20年以上も前の教材は,これから使うには難しい要素を含みます。教材が古くなったかというと,普遍的な問題はいつの時代でも使えます。けれども紙の媒体で残されたものを選り分け,それをコピーして教材にするにはあまりに手間がかかります。学年や単元ごとに整理しなければなりません。いざ使う時にどこにどの教材があるのかが探し出せなかったり,探すのに時間がかかるのでは大変です。それならば今ある問題集や,検索がかけられるデータベース化された問題作成ソフトを使った方が早いのです。

退職する前に時間を掛けて残した教材を活用できなかったことは,残された者の不徳とするところでしょう。終活としてまとめた問題が活かせなかったことを反省しながら昔の教材を束ねました。やがて世代は交代の時期を迎えます。それが時の流れなのだから。先輩の先生の教材のことを自らに置き換えたとき,どうしたら残せるのか。まだ少し先のことだけれども,残すべき準備をする時期はやがて来るでしょう。

24/01/01
想定外のときの処世術

想定外のことはさまざまな場面で起こります。旅先でのハプニングはそれ自体楽しむものだとも言われます。予定していたのに,訪れた店が休みだったり,曜日を間違えたがために施設に入れないなど。逆に予定していた店に入れなかったため,他の店に入ったら予想外に良かったなど。電車やバスの遅延で行けなかった目的地のことを旅先の同宿者に聞いて,なおさらそこへの思いが強くなることもあるでしょう。そしてその思いがいつか叶えられることもひとつの楽しみになるでしょう。それが実現できたときの感動は,すんなり行けた時よりも大きいかも知れません。

勉強や仕事でも想定外のことはあります。むしろ日常のことなのでその頻度は大きいでしょう。急な宿題や課題が出されたり,試験直前に範囲が広がることなど何度も経験しているでしょう。何度も経験すればやがてそれが想定外でなくなるのかも知れません。仕事でも取引先から無理な注文が出たり,抑えてあった会場がダメになったりなど。学校や仕事での想定外はあまり良いことがないように思います。

奇しくも年が明けたばかりの元日に,北陸地方で大きな地震が発生しました。正月にのんびり過ごそうとしていた人や,帰省して実家で過ごしていた人,正月の旅行を楽しんでいた人たちにとっては,大きな想定外のことだったでしょう。夕方以降のテレビ番組はすべての正月特番を中止して,地震の状況を報道し続けました。多くの人は3.11のことを思い出したでしょう。こうして報道を見続けることによって気持ちが沈む人もいます。遠くに住んでいて直接関係がないのならば,こうした報道から避難するのもひとつの方法です。ラジオのバラエティ番組では,こうしたときの番組のあり方についての難しさを語っていました。リスナーからはこうしたときこそ平時のようないつもの喋りがあると安心するという投稿がありました。自分の置かれた状況で関わったり,距離を置いて過ごすのも必要な処世術だと思います。