12/12 血液型と占い 11/11 志望理由 10/10 目覚まし時計 09/09 ビートルズ 08/08 アンケート 07/07 記録 06/06 フィボナッチ数列 05/05 LPレコード 04/04 アナログとデジタル 03/03 適正価格 02/02 教科書の『付録』 01/01 スポーツ観戦

09/12/12
血液型と占い

日本人ならヒトの血液型がABO式で分けられていることは誰でも知っていることでしょう。日本人の場合,最も多い血液型はA型で約40%,続いてO型が約30%と多く,B型は約20%でAB型は約10%と比較的少ない方です。ただし,この割合は国や地域によってかなり異なるようです。ただ,どの国や地域でもAB型が少ないのは共通しています。遺伝学の見地からすれば,確率的にそうなるのは必然なことでしょう。ABO式血液型の分類以外ではRh式血液型の分類が有名でしょう。ABO式が赤血球による分類に対して,Rh式は赤血球膜の抗原によって分類されています。抗原とは簡単にいえば免疫反応に関する物質のことです。日本人の場合,AB型でRh-型の人はおおよそ2000人に1人と言われています。それゆえ,この血液型の人にとって輸血が必要なとき,場合によっては生死に関わる切実な問題となるでしょう。  自分の血液型が何であるかは,日本人の場合ほとんどの人が知っているでしょう。血液型によってその人の性格を判断する材料にすることがあります。特に日本人の場合,血液型による性格分析が好まれる傾向があるようです。日常の中でも血液型で友達や身近な人の性格分析をしている光景を目にします。それほど重要な場面でなければそれもほほえましいことでしょう。ただ,4種類しかない血液型ですべての人を分類するのは少し乱暴すぎると思います。  占星術や手相・風水などを始め,さまざまな占いは統計学的に分析されているわけではありません。科学的な論拠を得ているものはまだ無いようです。それならばむしろヒトが誰でももっている属性である血液型を細かく分析し,統計学的な占いという新しい概念で血液型占いを確立するのはどうでしょうか。血液型の分類にはABO式型やRh型以外にもまだまださまざまな分類法があります。それらのいくつかを組み合わせれば数十通りの分け方が考えられます。これだけ細分化されれば信頼性も出てくることでしょう。データを揃え,統計学的分析を加え検証するのです。既成概念を打ち破る発想は,さまざまなところにあるはずです。

09/11/11
志望理由

受験をして入学した学校にせよ,就職活動をして入社した会社にせよ,そこを志望した理由というモノを誰でも持っているはずです。それを初心と解釈することも出来ます。受験をして志望校に合格した人も,あるいはすでに社会に出て活躍している人も,自分がどんな思いでいまの場所に居るのか,立ち止まって考えてみることは自分の歩んできた道を振り返り,そして今後どういった方向に進んでいくかを考えるのきっと役立つはずです。若かろうが,あるいはすでにリタイアする年齢に達している人でも試みる価値はきっとあるはずです。  目標を達成し希望が叶いそして新しい環境に慣れてくると,人は徐々にそこに存在している理由を考えなくなっていきます。考えないと言うよりは,考える必要性が無くなるのでしょう。やがて初心を見失ってしまう,そんな経験をしたことはないでしょうか?その学校を選んだ理由,そこで何を学び,友達や先生を含めどのような環境を期待したのか思い出して下さい。その会社に入ってやりたかった仕事はいったん何だったのか,昔の情熱を保つのは難しいでしょうが思い起こして下さい。  いま置かれている環境が悪いからといって,次の新しい“場所”に期待するのは決して望ましいことだとはいえません。なぜその学校を志望したのか,なぜいまの職業を選んだのか,自分の志望理由をもう一度読み返すことは出来ないでしょうか。何年あるいは年十年か前の自分と向き合い,そのときの自分を思い出して下さい。

09/10/10
目覚まし時計

朝起きるときに誰もが利用するのは目覚まし時計でしょう。生まれてこれまで,目覚まし時計のお世話になったことが無い人は皆無でしょう。決まった時間に起きるためには必須アイテムといえます。いまの時代,ケータイにも目覚まし機能がついています。使う使わないの議論は別として,使う人にとっては無くてはならない機能でしょう。他の人に起こして貰うか,目覚まし時計に頼らなければ,人は決まった時間に起きることが出来ないのです。もし,目覚まし時計が必要のない環境なら,それはかなり特殊な状況が想定されます。病気をして入院をしている人とか,あくまでも想像ですが,服役中の囚人などがそうでしょうか。もっとも,そういった類の人たちにとって,起床時間が目覚まし時計の代わりになるはずです。  昔の目覚まし時計はいわゆるゼンマイ式で,ベルは鐘を鳴らすようなけたたましいものでした。決して上品といえる代物でなかったのです。やがて目覚まし時計は進歩しました。アナログ表示からデジタル表示のものが出はじめ,鐘の音もやさしい電子音へと変化しました。メロディーであったり,キャラクターが声で起こすなど工夫されました。一度ベルのストップボタンを押しても,しばらくすると再び鳴り出すスヌーズ機能が付いている目覚まし時計も出ました。使う側にも進歩がみられ,二つ以上の目覚まし時計を併用している人も多いことでしょう。布団から遠くに置く,缶の上に置くなど涙ぐましい努力をしている人も居ます。目覚まし時計のこうした進歩をみると,「必要は発明の母」なのだと改めて感じます。  それにも関わらず,目覚まし時計で起きられない人が存在するのも確かです。どんな目覚まし時計でも結果的には起きられない,という人が居ます。無意識のうちにスイッチを切ってしまう人。ベルの音にまったく気づかない人。さまざまです。ここまで来ると,その人のもっている性格に依るのでしょうか。あるいは睡眠に問題があるのかもしれません。いずれにしても,人は社会の中では時間軸に頼らざるを得ません。それが社会性であり,常識ある大人なのですから。そういった意識を持てば,やがて目覚まし時計にそれほど依存しなくても起きられる生活が送れるようになるでしょう。

09/09/09
ビートルズ

2009年9月9日,世界同時でビートルズのアルバムのリマスターズ版が発売されました。いまの技術を駆使して,最高の音質で復刻したそうです。全部で14枚のアルバムにDVDを加えたボックスセットは,かなり高価となるのですが,それでも発売当日までに多数の予約のあった店が出たようです。不況の中,数万円もするセットが飛ぶように売れる状況をみると,その人気と影響の大きさがいまさらながら確認できます。日本でも多くのミュージシャンがビートルズの影響を受けた話や逸話は,いくつものテレビやラジオ番組で聞いたことがあります。  音楽にはたくさんの分野があります。クラッシックやジャズ,フォークやロックにしてもさらに細分化されることでしょう。ビートルズはどれに属するのでしょうか。ウィキペディアによると「イギリスのロックバンド」として分類され,「現代のポピュラー音楽の流れを変えた」とあります。この定義によるとビートルズは「ポピュラー音楽の中のロック」に分類されます。けれどもひと言でロックといっても,ロックンロールやリズムアンドブルース(R&B)も含まれます。ビートルズはこれらのロックとは系統が異なっていたようです。なぜビートルズがこれほど多くの世界中の人々に愛されてきたのでしょうか?そういった議論はおそらく日本はもちろん,世界中のさまざまな国や地域で語り尽くされてきたことでしょう。あるいはこれからも語り継がれていくことでしょう。そういった意味では,ビートルズはもはやどの音楽のジャンルにも属さず,“ビートルズ”という独自のジャンルに分類されると捉えた方が説得力があるように思えます。  ビートルズが日本に来日した頃はまだ幼く,彼らは歴史上の存在だとそのときは思っていました。その当時の大人の目からみると信じられないかもしれませんが,こどもにとってはそのくらいの認識しかできないものなのです。もし,もう少し早く生まれていれば同じ時代・同じ時間を共有できたのではないかと思うと少し残念です。それでもほんの少しあとの時代に,こうして楽しめるのですから充分幸せなのだと思います。

09/08/08
アンケート

新しい商品を開発したり,市場の動向を調べるときに企業ではアンケート調査をします。顧客がどのような商品を希望しているのか,あるいはどのようなところに不満を感じているのかを知ることが出来ます。自社製品に対する評価を知ることも出来れば,他社の同様の商品との比較も可能です。  アンケートの手法にはいくつかの種類があります。賛否を問う,もしくはYesかNoを決める○×式,選択肢の中からひとつもしくは複数を選ぶ選択式,質問に対して自由に答える筆記式などです。アンケートはアンケート用紙ということばがあるように,紙によるものが主流でしょう。それ以外では選挙のときなどによく用いられる電話による世論調査などがあります。街中で見かける対面式のアンケートなどは元来のアンケート調査方式でしょう。最近ではメールによるアンケートも見受けられます。アンケートに答えるには時間的な余裕がないとなかなか記入する気にはならないでしょう。それゆえ,回答するのにどのくらいの時間を要するのかを示すことがより多くの回答を得るひとつの方法です。インターネットでのアンケートでは,答えている最中,いまどのくらいの『位置』に居るか示すサイトもあります。それが回答者に対する配慮というものです。  ほとんどのアンケートがそれに答えてくれる人の協力によって成り立ちます。すなわち答えてくれる人の善意によって集計が取れ,アンケートとして成り立ちその意義が生じるのです。ただ,中にはマーケッティング調査や大学のレポートなどでどうしてもデータを必要とするケースもあります。そういったとき,企業のアンケートだと謝礼を付けたり,何かしらの見返りを用意したりします。そこまでして集めたデータも正しく分析出来なければアンケートを取る意味がありません。時間と費用を掛けても得るものがないのです。正しい分析の手法をしっかり学び,研究することも大事です。その上でデータを活かし,アンケートに協力してくれた人達へどんな形でもいいので還元するべきでしょう。

09/07/07
記録

「記録は破られるためにある」ということばがあります。どんなに偉大な記録,決して破られないであろうと思われていた記録が,新しい時代の選手やチームなどに打ち破られることがあると,新聞やスポーツ誌にそんなことばが見られます。最近ではメジャーリーグでのイチロー選手の活躍により,おおよそ100年も前までさかのぼらないとその記録が見あたらないというようなことが起きていることは周知のことでしょう。これだけ長い間破られなかった記録を目の当たりに出来る,しかもそれが私たちと同じ日本人が残していることを思うと,痛快でありまた同じ時代に生きているという幸運を感じます。  記録には野球のように積み重ねていくものもあれば,陸上競技のように距離やタイムを競うものもあります。走り幅跳びや棒高跳びなどは距離を競う競技です。遠くまで,あるいは高く跳んだものが勝者となります。数値上はその上限はありません。ただ,常識的に考えて走り幅跳びで20mを跳んだり,棒高跳びで100mを超えることはまず無いでしょうか。どこかで『限界』が来るはずです。数字的にはマイナスではなくプラスの方向なので,空想的な世界なら上限はありません。でも,マイナスの方向すなわち数値が小さい方が勝者となる競技は必ず『限界』がやって来ます。例えば100m走でいまの世界記録を9秒上回る,すなわち1秒を切ることが不可能なのは誰もが認めることでしょう。もはやヒトだけではなく,全生物をもってしても無理な数値でしょう。ここまで極端な数値を示すとナンセンスになります。けれどもいつか限界はやって来るのです。  それにも関わらずあくまでも遠く・高く,あるいは誰よりも速く人はなぜ走ろうとするのでしょう?その答えはアスリートによりさまざまでしょうが,彼らが『限界』を考えながら記録に挑んでいるとは思えません。記録には狙って出来るものもあれば,結果的にそれが記録として残ることもあります。いずれにしても新記録を出す前までの記録が目標として,多かれ少なかれ彼らの意識の中にあるのでしょう。高い目標があるからこそ,そこに辿り着いた人にしか見えない世界があるのです。その達成感を同じ目線で見ることは出来ませんが,共感することは可能です。感動は『記録』を作れない人達にも新たな目標を定め自分なりの『記録』に挑むエネルギーとなることでしょう。

09/06/06
フィボナッチ数列

ある規則性をもった数字の並びを『数列』といいます。例えば <1,4,6,8,□,12,14,16,……> と並んでいれば□に入る数字は10であることはすぐ分かるでしょう。<1,2,4,8,16,□,64,128,……> の場合はどうでしょうか。これも簡単で,正解は32です。最初の数列は2ずつ増え,2番目の数列は前の数を2倍すると得られます。前者を等差数列,後者を等比数列といいます。では,次の数列はどうでしょうか。     <0,1,1,2,3,5,8,□,21,34,……>  規則性を探し,それが発見できたときの喜びはひとしおです。数学というと,計算を正確にし,方程式を解いたり定理を証明したりするイメージ強いでしょうか。けれども,まずいくつかのパターンを試す,すなわち試行錯誤をしながら答えを推測していく方法もあります。数列の問題では誰もが隣りあう数字の差をとったり,何倍されているのかを検討することでしょう。間違うこともありますが,その中から新たな発見ができることもあります。上述の問題においては,このどちらの方法でも解くことはできません。だとしたら,さらに一歩踏み込んだ考え方を要することを感じることでしょう。  先ほどの数列は『フィボナッチ数列』と呼ばれるもので,数列の問題ではおなじみのものです。さて,このフィボナッチ数列ですが,その中には一見,数列とは関わりがないと思われる事象に繋がるものもあります。数列の n 番目の数を表す式を『一般項』といいます。その一般項を求めるときに,簡単な2次方程式を解きます。2次方程式を解くときの解の値がいわゆる『黄金比』になるのです。線分を2つに分けるときに最も美しいといわれる比のことです。一般的な書籍,例えば教科書やノート,あるいはコピー用紙などが黄金比になっています。また,自然界にもこれにまつわるものがあります。ひまわりの種やオウム貝の殻の形状などが有名でしょうか。  数列の問題を解くときにも,こうした広がりが見られます。問題解決の方向性は一通りではないのです。またその過程において,新たな法則や関連がないと思っていたことと繋がることもあります。これは何も数学だけに限ったことではありません。いま直面している問題に対して解法(解決)の目途が立たないのなら,違った方向から見直す必要もあります。

09/05/05
LPレコード

いまから二十数年前,コンパクトディスクが発売されました。それまで,音楽を聴くメディアの主流はレコードでした。機械的にブレがほとんど無くなったコンパクトディスクは画期的で,それまでのレコード文化を一気に凌駕しました。オーディオショップに並んでいたタウンテーブルは廃れ,そのためだけに存在していたレコード針は急激に店舗から姿を消しました。ワラフラッターといった数値など問題外になるほど,CDプレーヤーは衝撃的なものでした。レコードプレーヤーにはない純粋で綺麗な音を再生してくれたのです。スピーカーから聞こえてくるその音は,目の前で演奏者が楽器を鳴らしているような錯覚さえ覚えました。それくらい衝撃的なものでした。音の再現を忠実にする一方,一時姿を消したレコードプレーヤーは,レトロ感もあるのでしょうか,ここ数年では見直され復活の兆しがみられます。  レコードにはLPとEPの二種類がありました。LPは一分間で33回転,EPは45回転です。LPはアルバムとして,EPはシングル盤として世に出回っていました。ドーナツ盤とも呼ばれたEP盤には,その時代ごとのヒット曲が多数出されました。LPはアルバムと呼ばれ,シングルとは趣が違い,それぞれのミュージシャンが,長い時間を掛けて作ってきた楽曲を,やはり長い時間を掛けレコーディングをして発表しました。早いサイクルで発表するミュージシャンも居ましたが,通常では年に一枚くらいのペースで発表されました。レコードにはA面とB面があります。A面には5曲から6曲,B面にも同様の曲数が納められています。A面が終わるとターンテーブルまで行きB面に裏返します。この作業がいまのCDとは異なるでしょう。『儀式』とまでは言いませんが,それなりの行動を要するのです。それだけに,作成する側にもひとつのこだわりがあったように思えます。いまでもアルバムの最後の曲はこだわりがることと思います。けれども,LP盤のA面の最後の曲のようなこだわりは無くなっているのではないでしょうか。たかだかレコードを裏返すだけのその作業にも,そこに意味があったように思えます。  人の一生の折り返し点は,その人の人生が終わってみなければ分かりません。年齢的な折り返し点はどこかにあるでしょう。でも,人生の中での裏返しをする作業は分からないのです。それぞれが感じる折り返し点は,どこかで感じることがあるものでしょう。それが,その瞬間で分からなくても,少し後であのときがひとつの折り返しただのだと感じることはきっとあることなのでしょう。  

09/04/04
アナログとデジタル

ヒトにはいわゆる五感があります。味覚・嗅覚・触覚・聴覚そして視覚です。これらの感じ方は当たり前ですが,一人ひとり異なるものです。同じものを食べても美味しいと感じる人も居れば,手をつけようとさえ思わない人だって居ます。評判の店に行ったものの,期待はずれで終わってしまった経験を持つ人は多いのではないでしょうか。食べ物に関しては,味覚の他にも嗅覚は重要なはたらきをします。ヒトは食べ物が腐っていないかの判断として,まず匂いを嗅ぎます。経験的に腐った食べ物の匂いを記憶し,判断できるのです。その上で初めて口にするものです。嗅覚が食事をするときに重要なはたきをする一例に次のようなものがあります。鼻をつまんでものを食べるのです。美味しいものでもかなり味気なく感じることが解ります。  ヒトの指先と唇はかなり敏感に出来ていて,かすかな異物が触れるだけでもすぐに分かります。この二箇所が敏感である実験として,爪楊枝を二本使い皮膚に触れさせるものがあります。二本の爪楊枝を接触させて持ち,目を閉じて皮膚に軽く触れるのです。その場所が手の甲や頬の場合,二箇所で刺されていることを感じるのは困難です。ところが,指先や唇だったら容易に感じ取れることでしょう。生命を維持するためには食物を摂らなければなりません。その入口にある口と,食物を確保するためにある手の先端である指先,これらが敏感であるのは自然な流れなのでしょう。大きな音がすればヒトはまずその方向を見ます。試しにいきなり大きく手を打ってみると,周りの人は振り向くことでしょう。これもやはり身を守る術のひとつです。  化学実験では色の変化でさまざまな現象を知ることがあります。リトマス試験紙もその一例です。溶液に溶けている金属の確認をする炎色反応も有名です。ただ,この炎色反応の色ですが,人によって捉え方が微妙に異なります。「赤]と感じる人も居れば「赤橙色」と答える人も居ます。本によっても違う色が書いてあることさえあります。視覚でもそうですが,自分が経験して感じたモノを他の人に伝えるにはことばが必要になります。ことばの表現によって相手にどのように感じ取って貰えるかが決まります。それゆえそれぞれが持っている語彙力が必要となります。体で感じ取る五感とはまったく別次元の人間が生み出したことばという媒体を通じて表現が可能になるのです。それはアナログをデジタルに変換する作業に似ています。変換することばが少なければ,自分が感じたモノをうまく相手に伝えられないかもしれません。けれども,それらを上手に伝えるため,最後には感性という第六感が重要なはたらきをするのはちょっと興味深いものです。

09/03/03
適正価格

さまざまな商品やサービスには適正価格というものがあります。例えば街中にある店でラーメン一杯を食べたなら500円前後,高くても800円くらいまでが普通の値段でしょうか。これが1000円を超えると「高い」と感じる人が多いのではないでしょうか。もちろん,そこに付加価値があるのなら,それを高いと思わない人も居ることでしょう。ただ,あくまでも一般的な価格として考えてください。  絶対的な数字だけ見てそれが高いのか安いのかを判断するのも無理があります。そこに商品なりサービスがなければ判断基準にならないからです。例えば「一万円」が高いのか安いのか,と言われたときに「何が」と聞き返すのが普通でしょう。単に「一万円」だけでは判断できないのです。それがラーメン一杯の値段と言われれば,おそらくほとんどの人は「高い」と言うことでしょう。けれども「高級旅館一泊二食付きの料金」となれば安く感じる人が多数出ることでしょう。モノやサービスの値段は,その時代・物価に応じた適正価格というものが存在します。  ここ十数年では経験したことのないような原油の高騰があり,のちに下落が見らたのが昨年でした。原油が上がったときに,食品関連の値段が毎月のように上がっていったのを実感したことでしょう。ガソリンや灯油を使う業種でも値上げをしていきました。輸送にかかる燃料費や,食品加工に要する光熱費がそれまで以上に掛かるようになったからです。ところがその後,原油価格は急落しました。それに対して,一斉に値上げをしていった企業は,それ以前の値段まで下げたのでしょうか。おそらくそういった企業はほとんど無かったでしょう。企業の勝手な論理がはたらいていると言われても仕方ない状況です。  値上げが原油高だけに関するものではないので,原油が下がったからすぐに値下げといかないかもしれません。ただし「原油高騰の折,値上げをします」のような文句のもと,値上げしたのなら消費者として納得がいかないのも事実です。他の要素も含むのなら,はっきりそう言えばいいのです。ただ,いまの日本におけるさまざまなモノの値段はいったい正しいのでしょうか。スーパーでの野菜や冷凍食品などの安売り,100円均一の店などに代表される薄利多売が見受けられます。安いモノを求めるばかりに大きな資本ばかりに目を向けてしまいがちな消費者。高いものを買え,小売業や中小企業を救えと言っているのではありません。人々のモノやサービスに対する適正価格がどんどん下がっているように感じるのです。物価が上がればいい,などとは思いません。ただ,安いモノを求めるばかりにしっかりしたモノやサービスを提供しようとする人たちが報われにくくなっている気がします。いわゆる「カネ」の流れが滞っているように見えるのです。いいモノに対する正しい評価が出来るような目を養うことは大切なことなのです。

09/02/02
教科書の『付録』

小学生が使う算数の教科書を見たことがあるでしょうか。当然誰もが通ってきた道なので,教科書を見ていないはずはありません。でも,大人になってから見返すことはほとんど無いでしょう。教科書は印刷技術の進歩のお陰でしょうか,以前と比べるとふんだんに色を使い,カラフルになり見栄えがよくなりました。見栄えだけでなく,学習する上でも助けになっています。重要な箇所には下地に色をつけ,解りやすく説明を入れたり,図解したりしています。黒板の絵を入れ,イラストで描かれた先生が説明をしている場面も見かけられます。こども達にどうすれば楽しく学びながら理解してもらえるか,教科書を作る人たちの苦労が窺えます。  算数の教科書の最後の方には,その学年に合ったさまざまな『付録』が付いています。小学一年の教科書にはすごろくが作られています。簡単なルールの下,一ケタの数の足し算や引き算をしながら「あがり」を目指します。いくつかのポイントで「5すすむ」とか「1かいやすみ」などと書かれています。「20すすむ」という箇所もあり,一年生で二ケタの足し算を学んでいることが分かります。同じすごろくでも小学三年生になると割り算へと変化しています。わずか二学年しか違わないのですが,この二年間の成長は大きいのです。かけ算の表では12の段まであり,九九を超える表もあることが学べます。二ケタまであるインド式のかけ算を意識しているのかは分かりませんが,かけ算は九九だけではなくもっと先もあることを示唆しているようにみえます。  こうした工夫を凝らした『付録』ですが,学校の現場ではどのくらい活用されているのでしょうか?さまざまな行事に押されることが多く,実際に手をつけている学校・学級は少ないのではないでしょうか。教科書の内容だけで手一杯だったり,あるいはそれさえもおぼつかないこともあるでしょう。そこで,こういった教材はご家庭でこどもと一緒にやってみてはいかがでしょうか。勉強をみてあげる,のではなく一緒に楽しんであげるのです。学校でいま何を勉強しているのかを訊くよりも,一緒に考えてあげることによってこどもがどこまで学んでいるのか,その成長を肌で感じられるはずです。算数ばかりでなく,他の教科書もときには眺めてあげてください。

18/01/01
スポーツ観戦

正月はいくつものスポーツ観戦ができます。冬のスポーツといえばサッカーやラグビーの他,マラソンや駅伝などが代表的でしょうか。スケートやスキーもここ最近の日本人選手の活躍があり人気が出ているようです。プロスポーツもあれば,学生中心のアマチュアスポーツもあります。高校生のサッカーもラグビーも年末年始に全国大会の試合があり,選手自身よりも引率する先生方の苦労を先に考えてしまうこともあります。毎年のように出場する学校の監督・コーチには家族と過ごす正月はないのだろうかと。もっとも,そういった人たちは,こどもたちと目標を一つにしていられるこの時期が何よりもかけがえのない時間なのかもしれません。  人によって好みがあるのはスポーツ観戦も一緒のようです。サッカーのように攻守が頻繁に入れ替わる試合の観戦が好きな人が居れば,マラソンのように動きがなかなかみられないものをじっくり観戦する人も居ます。マラソンや駅伝は,中継するアナウンサーやスタッフの準備が,見る人を飽きさせない努力がみられます。走っている選手やそれを支えるコーチや家族のことなど,取材したことを中継の中で随所に織り込みます。走るのは選手一人だけですが,そこに至るまでに関わった人たちのさまざま人生が描かれることがあります。そこにドラマ性を感じるのでしょう。  どのスポーツにも共通しているのは,純粋に勝利を目指していることでしょう。目標を一つにした同士で勝利をつかみ取ることが,見る人に感動を与えのでしょう。同時に敗者にも物語があり,心打たれることがあります。普段の生活や仕事では割り切れないことや,白黒のはっきりしていないことが多いはずです。政治に対する不満から,いまの生活に不安を抱いている人もいることでしょう。それに反して,スポーツは決められたルールの下,培われた精神力や集中力を武器に,正々堂々と戦うところに手に汗握り観戦するのでしょう。