12/12 算数の指導法 11/11 月日変われば気も変わる 10/10 模倣と盗作 09/09 道は続いている 08/08 花火 07/07 必要性のある勉強 06/06 制服の効力 05/05 通学路 04/04  03/03 リセットできない現実 02/02 『博士の愛した数式』 01/01 名前

05/12/12
算数の指導法

車を運転していると,前を走っている車両のナンバーが嫌でも目に入ってきます。ほとんどの車のナンバーは四桁です。四桁の数字は二桁ずつ真ん中にハイフンを挟み刻まれています。「12-34」といった具合です。これらの数字を見ていると,前後の数字の関連を考えてしまうことがあります。たとえば,前の数字が後ろの数字の約数になっていないかとか,お互いの数が1以外の公約数をもたない,‘互いに素’の関係にないかといったことなどです。かけ算九九についてもよく考えます。前の数字の積の結果が,後ろの数になっているかどうかということです。「36-18」などがそうです。そういったナンバーの車を見ると,ちょっと得した気分になったりします。さて,四桁のナンバーの場合,かけ算九九が正しい車はどのくらいの割合であるでしょうか。数学の知識を使えばそれほど難しい計算ではないのですが,小学生の算数の知識でも考えられます。表を作るのも一つの方法でしょう。

以前,NHK教育テレビでは小学生対象の算数の番組で,次のようなことを取り上げていました。正方形のマスに適当な数字を入れ,進行役の先生がそれらの数字を読み上げるゲームでした。縦横,もしくは斜めに出来上がったときに‘ビンゴ’とコールするゲームです。正方形に数字を入れるゲームですが,この正方形が2×2で作る場合と,3×3で作る場合とではどちらが有利かという内容でした。この計算は,先ほどの車のナンバーほど易しいものではありません。実際にどちらの方が有利なのか,試してみてはいかがでしょうか。具体的には以下の通りです。1から50までの数をマス目に記入します。どの数字を入れるかは,各自で自由です。好きな数字,出やすそうな数字を入れていきます。2×2マスの方は完成しやすいですが,その数字が出る確率は低くなります。逆に3×3マスは数字は出やすいのですが,完成するには時間が掛かります。どちらが有利か分かりますか?さらに,このマス目をもっと増やしていくとどんな結果になるか,考えてみるのも楽しいものです。

いま,小学校での算数の授業は中学受験を考えて塾に通っている児童と,受験せずに公立中学に進学する児童が同じ教室で学んでいます。そういったこども達を同じ教室で一緒に教えるということは,先生にとっても大変な苦労があることが想像できます。特に,算数は塾で勉強しているかそうでないかでかなりの差が出てしまいます。それゆえ,先生方の授業・教材研究の時間は十分に取らなければならないでしょう。公立の小学校が学習進度によってクラス分けをしない限り,その必要性は続きます。実際にクラスを分けることは困難なことでしょう。教材については,個人的に考え作成するには限界があるので,学校だけではなく,塾も含めたさまざまな教育機関でネットワーク作りをしていくべき時代だと思います。  

05/11/11
月日変われば気も変わる

高校あるいは,大学を卒業して働き始めた人に,小学校から高校・大学までの間で,どの頃が一番楽しかったかと訊いてみると,当然のことですが,人それぞれで異なった返事が返ってきます。部活動が充実していたので,中学時代が楽しかったという人がいれば,自由気ままに過ごせた大学生の頃がよかった,という意見もあります。中には,今が一番楽しい,という幸せな人もたまにいます。どの時代が楽しかったのかは,その人の一生が終わるときでないと本当のことは分からないのかもしれません。端から見ると幸せそうであっても,実のところ悩みを抱えていることだってあるだろうし,まったくその逆のこともあるのかもしれません。他人の幸せは,それぞれの定規で測るもので,他の人のメモリとは微妙にズレが生じるものでしょう。

楽しかったと思えた時期は,その時に関係したまわりの人たちの影響が大きかったことでしょう。自分の置かれている環境がよければ過ごしやすいのは当然ですし,それだけ楽しい時間は続くものです。逆に,人間関係が悪くなると,ストレスを感じ,ある時はその場所に行くことさえためらうことがあります。時にそれが,自分が帰るべき家のことだってあり得ます。小学校の高学年から,中学までの学年で,出来の悪かった試験が帰されたときなど,あるいは親に嘘をついてしまったときなど,「帰りたくないな」と感じた経験はないでしょうか。何年かして振り返ってみると,それほど大したことではなかったように思えるのですが,当事者にとっては,大人が思っているよりも一大事であるのかもしれません。大人になると怖いと思わない森も,子供の頃は近づきがたかったのかもしれません。

中学生や高校生でも,どの学年が楽しかったということが話題に登る場面を見かけることがあります。大人の目から見ると,まだたかだか十数年しか生きていないのに,とちょっと上段に構えて見てしまう傾向にあります。実際に,まだ振り返る歳ではないと思うのですが。でも,新しい学年になってクラス替えがあれば,前のクラスの過ごしやすさを感じることだってあって当然です。それが小学校から中学校,さらには大学生から社会人へと環境ががらりと変わればなおさらのことでしょう。慣れ親しんだ前の環境から新しい世界へと移ったとき,不安と期待はいつでもついてくるものです。そういった状況の中で,あとで振り返ったときにあのときが楽しい時期だったと思えるように,これから迎える時間と向き合えることが,もっとも良い過ごし方ではないでしょうか。  

05/10/10
模倣と盗作

子供の頃に習った書道では,最初は模範となる先生のお手本をまねることから始めました。柔道や剣道でも,やはり基本となる型を教わります。将棋や囲碁にも定石があり,初心者の頃の序盤は,プロと全く同じように棋譜を進めていくことがあります。基本を覚えることにより,徐々に自分の形が出来上がっていくものです。こうしたお手本の模倣は,誰でも経験することだし,その必要性は誰も否定しないでしょう。レベルの高いプロ選手にも基本を要求する指導者が居ると,個性に乏しい選手ばかりになると指摘されることもあり,すでにある程度の基本を習得した者への指導の難しさが論じられることもあります。

中学や高校・大学では,授業の一環としてレポートが課題として出されます。ワープロの普及に伴い,近年のレポート提出は手書きではなくワープロで提出するように注文する先生が増えてきたようです。ところが,最近はその逆を言う先生も出てきました。インターネットの検索エンジンの進歩により,今は自宅に居ながらにしてある程度の詳しい情報が得られるようになったからです。調べたい項目に対するいくつかのキーワードを入力すれば,たちどころに世界中からかなりの数の情報が得られます。無料で英語を日本語に訳してくれるサイトもあるので,楽しようと思えばいくらでも探すことが出来ます。それが自分の考えていることと異なっていても。そこには,自分の言葉などひとかけらも無いことは明らかなことです。自分の意見はないけれども,それなりに筋の通った文章を作ることが簡単にできる世の中になりました。しかも,コピーアンドペーストすれば瞬く間に見た目まともなレポートが完成します。こうなってくると,模倣の域ではなく,単なる盗作になるでしょう。論文レベルでこういったことは無いでしょうが,高校や大学のレポートでは十分に考えられることでしょう。

以前,ある中学校では歴史に関する生徒のレポートを,一冊の本にまとめ作り上げました。一人一ページを担当していました。歴史に関することなら何でもいいようで,古くは聖徳太子からはじまり,第二次大戦あたりまでレポートされていました。人気があるのはやはり,戦国時代と幕末でした。手書きで記されたレポートの一群には,中学生なりの工夫が見られました。ほとんどの生徒がイラストを取り入れ,将軍の似顔絵や歴史の現場となった地図などを書き入れていました。新聞風に作られたものもありました。実際に調べたのは書籍からが大半でしょう。中にはネットから得た生徒もいるかもしれませんが,不器用ながらも一生懸命書かれているレポートには好感が持たれました。メールに追いやられるように,手書きの手紙が減ってしまった昨今,たまには自分の字で記すのも新鮮なものではないでしょうか。  

05/09/09
道は続いている

陸続きである限り道はずっと続いています。日本国内であるのなら,離島に住んでいない限り自宅の前から清水寺にも行ければ,富士山の頂上に登ることも可能です。生活する上で欠かせない道ですが,ときには楽しむためのものにもなります。春には桜の花が舞い散る中を思い思いに歩けます。新緑の頃には遠足を楽しむ子供たちの声で道は満たされます。あくまでもそこでの主役は子供たちにあり,道の存在は単にそこでの背景になります。秋にはイチョウの葉がこれでもかとその存在を示すのはやはり道の上です。道の上に散ってしまった葉の上をサクサクと歩くのは心地良いものです。

忙しい毎日を過ごしていると,決まった道や知っている道ばかりを通るものです。なかなか寄り道をする余裕などありません。普段通っている道とは違う道を進む人や車を見ると,その先にはいったい何があるのだろうかと思うことがあります。それほど特別なものが待っているわけではないでしょうが,でも何かがそこにはあるのかも知れないと思うと,少し楽しくなります。その先に進める時間と,ほんの少しの好奇心があればそれこそ道は開けるはずです。大げさでしょうか?でもそこから一歩踏み込めれば,楽しい世界が始まるかもしれません。通学路あるいは通勤で使っている道から一歩逸れると,新しい発見に出会えます。徒歩ならば,ちょっとした探検になるでしょう。自転車や車での移動なら,思いがけず普段使っている道に再び出くわすかも知れません。嬉しい不意打ちといえるでしょう。空間移動をした感覚(錯覚?)も得られます。特に女性はこういった空間移動的感覚は好きな人が多いようです。

道路は人のために開発されます。新しい道路が出来ると,それだけ生活は便利になります。遠回りしていたものが,思いがけず距離が縮まることもあります。新しく出来た道路は,真っ直ぐで区画もしっかりしていることが多く,少し離れてみると綺麗であるようですが,面白味にも欠けます。自分が住んでいる地域に新しい道路が開発されると,以前のその周辺の様子が思い描きにくいことがあります。新道が開通する前,そこにはいったい何があったのだろうかと感じます。子供の頃によく使った道が,突如消えてしまうのは寂しさと切なさが残ります。そうやってまわりの風景は変わっていくのでしょう。新しく出来た風景は,いまの子供たちにとってはそれが原風景になるのですから。  

05/08/08
花火

高校の化学の分野に,水溶液中に溶けている金属を確認する実験として,炎色反応があります。金属には単独 -単体といいます- で存在しにくいものがあります。炎色反応は,水溶液中にそれらの金属が溶けていることを確認するための実験です。金属が溶けている水溶液を針金の先につけ,ガスバーナーの火であおります。水溶液に含まれる元素により,元素特有の色が現れます。ナトリウムなら黄色,バリウムなら黄緑色です。ガスバーナーの青白い炎の先には,金属特有のきれいな炎が鮮やかに映し出されます。金属のこういった性質を利用したものに花火があります。市販されている花火もそうですが,夏の夜空を彩る打ち上げ花火では,その効果は絶大なものです。花火職人は,打ち上げたときにどのような花火として出来上がるかを構想しながら,火薬の配合をしていくそうです。一瞬の作品に,多くの人たちは歓声を上げ,さまざまな想いをはせることでしょう。

花火,特に打ち上げ花火は一瞬の鮮やかさとはかなさを持ちあわせています。また,線香花火は最初,激しく火花を散らしたあとに,終盤は弱々しく暗い炎を保ちながら,最後はあっけなく火種ごと落ちていってしまいます。そのため,よく人生のはかなさの比喩として使われます。でも,花火だからという理由だけでしょうか。多くの打ち上げ花火は七月から八月に掛けて行われます。家庭でする花火も,夏休みの風物詩でしょう。ところで八月は多くの日本人にとって特別な月ではないでしょうか。広島と長崎に原子爆弾が投下され,終戦記念日がある月なのですから。私たちの祖先は,この月にたくさんの命を落としました。長崎の精霊流しでは精霊船に霊を乗せ供養をします。各地のお盆でも,迎え火や送り火を焚いて祖先の霊を迎え入れます。どちらも花火と同じように,火を使用することには変わりありません。ただ,花火の場合は金属によるもので,精霊流しや迎え火はローソクや藁などで,花火のそれとは違いゆっくりと燃えていきます。

一国の首相の参拝を巡って,他国から批判されています。いくつかの要因がありますが,過去の出来事に対する謝罪が十分でないということがひとつの理由です。けれども,日本の首脳はこれまでにもことあるごとに謝罪をしてきました。彼らはどれだけの謝罪をすれば許すことが出来るのでしょうか。確かに日本という国がしてきた歴史的な事実は,史実上から決して消えるものではありませんし,忘れてはいけないことでもあります。私たち日本人が,そういった認識が不足していることも確かです。彼らはそういったことに対して,不満があるのかも知れません。それぞれの国民どうしが疑心暗鬼になり,信頼をなくしてしまえばそこから新たな憎しみが生まれてしまうかも知れません。過去に対する不透明なものは,水溶液中に溶けている金属を確認するように簡単ではないでしょう。だからといって,その作業を怠ることは許されることではありません。

05/07/07
必要性のある勉強

中学生や高校生にとって,教科としての勉強はそれほど楽しく感じないことが多いようです。日本史や地理ならばある程度の暗記が必要だったり,数学や物理は理解できないとその面白さを知る以前に拒絶してしまいます。その結果「こんなもの社会に出てから使うことなんてないから必要ない」などと逃げてしまう生徒も居ます。彼らの言うことはそれほど間違ってはいません。確かに生活する上で難しい方程式を解くこともなければ,動詞の活用形を知らなくても買い物は出来ます。この時期を通り過ごした大人にしても,学生時代には同じようなことを思った経験があることでしょう。本気でそう言っているのではなく,勉強するのが嫌になって言っているという場合がほとんどでしょう。嫌だからといって勉強をやらなくなる子どもなどまず居ないでしょう。

かなり偏った考え方になりますが,小学校から大学あるいは大学院までの勉強は,その学問を存続させるためにある,というものがあります。学問にはこれで終わり,といった仕切り線はなく,新しい研究は日々行われています。その研究をする人間を育てるために,学校教育は必要なのだという考え方です。研究者を育てるために,そうでない生徒達はそれに付き合わされている結果になります。その学問に適正のある子どもだけが研究を続ければいいということです。少しでも多くの人が学んでいれば,その確率は高くなるのです。オリンピック級の選手を育て上げるために,国家を上げて子ども達にさまざまなスポーツをやらせることと図式は似ています。

閑話休題。学校の勉強が実社会に出て役に立たないということを簡単に認めてしまえることは出来ません。実際のところ,直接役に立つケースは少ないにしても,勉強の必要性を完全に否定することなど出来ないものです。では,社会に出てからほとんど使わない勉強の必要性をどのように説けばいいのでしょうか。以下の通りです。学生の本分は勉強です。勉強は年齢に併せて徐々にその内容が難しくなっていきます。自分の年齢に必要な知識をその時々で学んでいくのですが,その時に勉強を放棄してしまうということは,将来社会に出てからも同じようなことが起こり得ます。すなわち,今やるべきことが出来ない人は,その先にも同様のことが起こり得るということです。それぞれがそれぞれの年齢にしたがって,少しずつレベルが上がっていくのが勉強です。いきなり難しくなるのではなく,その速度はかなり緩やかなはずです。個人差が出るのは当然ですが,その緩やかな速度に自分なりに歩を合わせていけばいいのです。  

05/06/06
制服の効力

小学生や中学生,高校生の学力低下については,ここ数年さまざまなところで取り沙汰されてきました。塾という勉強を直接教える現場では,そのことを肌で実感します。今の理系の生徒より,十数年前の文系の生徒の方が数学や物理が出来るのではないかと思えてしまう場面さえあります。確かに『昔』の方が勉強していたように感じます。学力低下の原因はいくつもあるでしょう。その原因は生徒一人ひとりによって異なるものですし,それが分かったところで解決に繋がるのかというと,必ずしもそうでないことがあります。親の立場から見た子供の学習量は,それは少なく子供に対しては不満が募り,親として不安を感じることでしょう。自分が中学生や高校生だった頃と比較してみても,きっと今の子供達の自宅学習の時間の少なさは感じ取れることでしょう。

なぜ自宅で勉強が出来ないのでしょうか。テレビやラジオ,ゲームにマンガなど,部屋に帰るとたくさんの誘惑があるのは確かです。しかしながら,そういったもの達にいつも支配されているかというとそうでもないようです。けれども,彼らの自宅学習時間は限りなくゼロに近い状態です。一度くつろいでしまうと,そこから再び勉強をし始める気力は滅多なことでは湧かないようです。その原因の一つに,制服を脱いでしまうことにあるのではないでしょうか。制服は学校だけではなく,一般の企業にも多数あります。制服を着ていると,それぞれの所属意識が発生します。決まった制服でなくても,例えば板前は板前の格好をすれば,料理を作ることや接客することに従事する気持ちが出てきます。アルバイトでコンビニの制服を着れば,店員の役割をすることでしょう。すなわち,制服を着ることによって,気持ちのスイッチが入れられるのです。制服を脱ぐことはその逆で,自分が所属しているモノから解放されます。

ほとんどの子供は,自宅に帰り制服から部屋着に着替えた瞬間から,勉強という所属から解放されてしまうのです。そういった意味から考えると,制服のない小学生の方が,まだ勉強するのかも知れません。大人にしても似たようなことがあります。自宅に仕事を持ち帰ったものの,スーツを脱いでしまうと,持ち帰った仕事に取りかかるのが億劫に感じた経験はないでしょうか。制服の効力は,こういったところでもはたらいているのでしょう。少数ですが,自宅でしっかり勉強のできる生徒がいるのも確かです。そういった子供達は何が違うのでしょうか?その要因も一人ひとり異なります。ただ,共通しているのは,今の自分に満足していないと思っていることではないでしょうか。

05/05/05
通学路

小学校の時に通った通学路には,不思議と道草の出来る場所がありました。子供の安全を考えたために,交通量の少ない道を大人達は考えてのでしょう。そんなことをよそに,子供たちにとっては格好の遊び場がそこかしこにありました。ほとんど意味のないちょっとした切り通しの上を通るだけで得意になったり,いわゆる‘秘密基地’など,子供にとっては最高の遊び場がそこにはありました。林の奥に行けば湧き水があり,ザリガニやヤゴを探すことなど容易いことでした。集団登校が当たり前に時代で,兄弟の居ない子供でも,兄や姉のような存在の年長組と登校したものでした。

だいぶ前になりますが,久しぶりに通学路を歩いてみました。自宅を出て,車の通り道に出ると,当時なかった歩道を歩き進みました。昔はそれほど車が通らなかった道を,学校の方向へと進みました。家並みなどかなり変わっていましたが,向かう方向は昔のままでした。そのまま進めば学校へ行ける道を,わざわざ細い道へと進みました。それが当時の通学路でした。大人達の考えた道です。けれども,それが子供にとっては格好の寄り道の出来る道になりました。子供の心をくすぐるには十分すぎるほどの遊びがそこにはありました。そんな面影を楽しみながら,車の通れない道を久しぶりに楽しんで進みました。家々の間を通ると,未だにある同級生の名前の表札に,なぜかホッとしながら通り過ぎました。やがて母校の小学校に近づいてきました。実際に歩いてみると,こんなに近いものだったのかと感じました。子供の頃に歩いた時間は30分ほどでしたが,大人になって歩いてみると,かなりゆっくり歩いてみても20分ほどで,普通に歩けば子供の頃の半分もかからないでしょう。久しぶりに通学路を歩き,ほんの僅かですがタイムスリップをしたように感じました。

いくつかの新しい家が建てられた以外,昔の面影のままの場所もありました。そんな場所に立っていると,昔と同じ場所に居ながら,異なるのはそこに存在する自分だけなのだと思いました。そんなことを考えつつも,やがて母校に到着しました。最後の坂道は少しきつく感じましたが,小学生の時には勢いよく登ったものでした。校門から校庭に入り,校舎の方に向かいました。その日学校は休みのため,児童はもちろんのこと先生も見あたりませんでした。少し前の穏やかな時代のことでした。残念ことに,ここ数年の学校への不審者の侵入事件により,いまなら簡単に‘外部’の人間が出入りすることは出来ないでしょう。それも,大人の考えた子供の安全なら仕方ないことです。不幸ないくつもの事件が起こるなんて考えもしなかった当時,少し小さくなったように感じた校庭をゆっくり歩きました。  

05/04/04

桜の樹の下には屍体が埋まっている!」。梶井基次郎の『桜の樹の下には』の冒頭です。「桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか」と続いています。桜の花が満開に咲いた様は,確かに日本人の誰の心にも鮮やかに残るものでしょう。年配の方が,歳を重ねるたびに,あと何回桜を見ることができるのだろうか,と思うことがあるそうです。桜が咲くのは年に一回だけ,それも鮮やかに咲きほころびます。それと同時に,自分の歳も一つ重ねるのです。歳を重ねればそれだけ死に近づくことになります。悲しい現実ですが,時間の経過と共に誰にも平等に死はやってくるのです。生きることは苦である。すなわち苦行である,と通夜の晩にお経を上げた住職が話してくれたことがありました。それでも人間は生きていかなければならない。死は仏様のもとに帰ることであって,決して恐れることではないとも言っていました。誰もがみな,平等に死を迎えるのだと。

「死は生の対極としてではなく,その一部として存在している」。これは村上春樹の『ノルウェイの森』の主人公の独白です。「死はいつか確実に我々をその手で捉える。しかし,逆に言えば死が我々を捉えるその日まで,我々は死に捉えられることはないのだ」と続きます。主人公は親しかった友人の死を境に,死をそう捉えるようになったのです。この考え方は,『桜の樹の下には』と比べるとさらに哲学的で,偏った考え方にも見えます。主人公自体が高校生だったので,なおさらそういった感は否めません。けれども,生と死の対極云々の論議は置いておくとして,人間にとっての死は確実な真理は得られないのでしょうか。

もうすぐ桜が一年の中で,最も華々しい季節を迎えます。でも,その桜を楽しみにしつつも,去年の桜が最後になってしまった人がいることも忘れないでください。誰も今年の桜が最後だなんて思わないことでしょう。もう少し早く咲いてくれていたならばと,まだ二分咲きの桜の道を通り過ぎながら思いました。つぼみの多い桜の樹を,少し恨めしそうに眺める春もあるのだと感じました。  

05/03/03
リセットできない現実

「ペットを飼っている子供はいじめをしない」という論調が,一時期見受けられました。この命題に対する真偽はいかがなものでしょうか。ある一つのことばやこうした命題は一義的ではないでしょうが,必ずしも正しいとは言い切れないと思います。健全な肉体には健全な精神が宿る。自然を愛する人は心がきれいだ。教師は聖職者である。どの命題もすべてが真であると言い切れるでしょうか。善悪を問うわけではありません。偏ったものの見方や,紋切り型で人を判断するのはよくないということです。

痛ましい事件があとを絶ちません。理不尽な死を迎えてしまい,その命を絶たれてしまう事件が頻繁に報道されます。ある日突然,愛する人を失ってしまい取り残された人々は,どこに怒りぶつければいいのでしょうか。常識を持った大人達は,自分の考えの及ばない範疇の出来事が起こるたびに,なぜそんなことを起こしてしまったのか戸惑い,その原因を自分の理解可能な世界と結びつけようとする傾向があるようです。加害者の人権を尊重し,被害者への救済が手薄になっているのも事実です。そういったことが,被害に遭われた人たちの感情を逆撫でする結果になっているのでしょう。少年犯罪に及ぶと「なぜそんなことをしてしまったのだろうか」と,戸惑いやりきれない気持ちを抱くのが普通の感覚です。ゲームで簡単にモノを破壊したり殺戮を繰り返すことにより,現実との区別がつかなくなってしまったという指摘もあります。でも,最初の命題と同様に,必ずしもそれがすべてではないのです。ほとんどの子供達は,そういったものに触れながらも,‘まとも’に成長しているのですから。

ペットに対する扱いは,時代と共に変化してきています。ペット同伴可能な旅館ができ,温泉に入れられるところもあるようです。マンションで飼うことができる時代にもなりました。最近では,車に同乗するペットの保険まで登場しました。それだけ,ペットを飼っている人にとっては,ペットは単なる生きものではなく,家族という意識が強くなってきているのでしょう。大抵のペットは人間ほど長生きはしません。それゆえ,いつかは必ずペットの死を迎えることになります。ペットの死を受け入れることにより子供達は命の大切さを覚えるのは確かなことでしょう。そういった経験を経て,命は決して“リセット”し直して戻せることができないことを知るのです。  

05/02/02
『博士の愛した数式』

一昨年の夏に文芸誌に掲載された,小川洋子著の『博士の愛した数式』という小説を読みました。この小説のことは何かの書評で,そのタイトルを見て,その時に少し気になっていました。ただ,当時手にして読むには至らなかったのです。今回,ちょっとしたことからこの小説を読むことになりました。最初,著者が誰かということも知らずに読み始め,しかも小説ではなく数学にある程度の知識のある文化人が書いたエッセイだと勘違いしながら読み始めました。読み始めると,それがエッセイではなく小説であることはすぐに分かりました。

登場人物はごく限られています。主に整数論を研究しているであろう博士と,博士の世話をする語り部である家政婦の「私」,それに彼女の十歳になる息子。彼は博士によりルートと名付けられました。それから博士と同居する -母屋と離れで- 義姉が登場します。博士には特殊な記憶障害があります。惚けているわけではなく,交通事故により物事を記憶する能力が失われたのです。事故以前のことは覚えているのですが,新しい出来事に対してはぴったり80分しか記憶がもたない,という特殊な状態になってしまいました。ですから,家政婦であり語り部である「私」が訪れるたびに,博士は初対面の挨拶からいつも始めます。博士は「私」に対してだけではなく,‘初対面’の人に対して必ず「誕生日はいつかね」とか「生まれたときの体重は?」などと数字に関することを訊いてきます。実際に「私」が初めて博士を尋ねたときにも「君の靴のサイズはいくつかね」との問いに「24です」と答えると,「いさぎよい数字だ。4の階乗だ」と言い,電話番号の576-1455という数字を聞くと,「1億までの間に存在する素数の個数に等しい」と言いきり感心してしまいます。小説の最初の方で,博士と「私」を結ぶ数字が登場します。博士に誕生日を訊かれ,「私」は2月20日と答えます。博士は「2月20日。220,実にチャーミングな数字だ」と言い,博士が大学時代に書いた論文で学長賞としてもらった腕時計をはずして見せます。そこには№284と刻み込まれていました。220と284は一見何のつながりもないように思えます。でも,この二つの数字には友愛数というつながりがありました。220の約数をすべて加えます。1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284。284の約数も加えてみます。1+2+4+71+142=220。つまり,220の約数を加えると284に,284の約数を加えると220になります。このような数どうしを友愛数と呼びます。博士と「私」の間にはもはやつながりができたわけです。友愛数の存在を知り,「私」は徐々に博士の数学の世界に引き込まれていきます。このように,小説の中では整数に関するさまざまな性質や,数学的な専門用語が出てきます。けれども,そういった言葉や知識がなくても,この小説の中では,博士が教えてくれる数学と同様,やさしく導いてくれます。

この小説の中で,博士はおそらく誰よりもやさしく,数学を教えてくれます。教えてくれるというよりは,導いてくれると表現した方が合っているかも知れません。特に,息子のルートに対しては,全身で愛情を注ぎ込みます。博士は自分の数学の研究中に邪魔されることを嫌います。けれども,ルートが訪れて来ると,研究さえ中断してルートとの時間を過ごします。ルートと算数の宿題をするときに,博士は必ず問題を音読させます。「問題はリズムがあるからね。音楽と同じだよ。口に出してそのリズムに乗っかれば,問題の全体を眺めることができるし,落とし穴が隠れていそうな怪しい場所の見当も,つくようになる」と言います。こんなふうに数学を教えてくれる人がいたでしょうか。この後のくだりでも,博士は見事にルートに考え方を導いてくれます。解き方ではなく考え方をです。

「私」に対してこんな問題も出題してきました。“1から10までの自然数を全部足すといくつになるか”といった問題です。このくらいの計算なら高校を途中でやめてしまった「私」にも簡単に計算できました。ルートはこの計算を順番に足していきます。その答えに博士は「正直な方法だ。誰からも後ろ指をさされない,堅実な方法だ」と評価を与えてくれます。でもそのあとにさらに問題を出します。1から100までの和はどうやって計算するのか,あるいはもっと大きい数字になったらどうするのか,と。そうしてルートと「私」は1から10までの新しい計算方法を考えるようになります。数学にいくらかでも詳しい人ならば,どう工夫すればいいのかすぐに分かることでしょうし,もしこれが数学の授業だとしたら,授業の時間中か遅くとも次の授業で解答してしまうことでしょう。けれども,博士は決して答えは教えません。それに,次に会ったときには博士には出した問題に対する記憶さえもなくなるのですから。博士の着ている背広には,いくつものメモ用紙がクリップで留められています。「私」にとっては意味不明の数学に関するたくさんのメモと一緒に,一つだけ理解できるメモがあります。錆び付いたクリップで長いこと留められていたのが分かります。《僕の記憶は80分しかもたない》そこにはそう書いてありました。

この小説の中で出てくる整数に関する性質の一つに‘完全数’があります。完全数は物語になくてはならない数字になります。完全数とは,ある自然数の約数の和が,その数自身になる自然数のことです。最も小さい完全数は6です。6の約数は1,2,3があり,1+2+3=6となる,このような数のことを指します。6の次の完全数は28です。博士は記憶に障害をもつ前から阪神タイガースのファンでした。特に江夏豊のファンで,野球に関するさまざまな数字の知識は尋常ではありません。ただ,小説の中での時代は1992年でその時に江夏豊はとっくに引退をしていました。でも,博士の記憶の中では江夏は今でも現役です。その夢を壊さないように,「私」とルートも江夏が今でも阪神タイガースで投げ続けていることを演じます。そして,江夏豊が背負う背番号が完全数28です。物語の後半は,この完全数28を中心に展開していきます。博士がルートをこよなく愛するのと同じくらい,ルートと「私」も博士のことを愛しはじめるのです。

ある日,博士とルートが二人きりで留守番をしていたときのことです。「私」は少し不安を感じながらも,二人だけにして出掛けました。ところが帰ってみると,博士がいつもの状態ではなかったのです。ちょっとしたはずみでルートが怪我をしてしまったのです。それほど大した怪我ではなかったのですが,博士の動揺は激しかったのです。ルートを病院に連れて行き待合室で待っていると,レントゲン室にある放射線の危険を示す三角のマークを指さしながら「君は,三角数を知っているかね」と訊いてきました。「いいえ」と答えると博士は問診表の裏に黒丸の三角形を並べて書き始めます。博士の手は震えていました。暗闇に浮かび上がった黒丸を見ながら,それぞれの三角数に含まれる黒丸の数を数えていきます。1+2=3,1+2+3=6,1+2+3+4=10と。「つまり,三角数は本人が望もうが望むまいが,1からある数までの自然数の和を表しているのだ」三角数2と博士は言います。そして四番目の三角数を表す黒丸を書き,その横にそれを逆さまにした黒丸を書きます。さらに長方形に並び替えます。寒くもないのに博士の手の震えはどんどんひどくなり,黒丸はいびつに不揃いになりました。こうして博士は「私」に1から10まで自然数の和の求め方を導いてくれるのです。10までだけではなく,100まででも1000まででも,10000まででもです。その時です,鉛筆がこぼれ落ち,足下に転がりました。「私」には博士が泣いているのが分かりました。翌日,博士の記憶は消えていました。博士は背広のメモに血がついているの気づき,不思議に思いました。ルートが怪我をしたときに抱え上げ,その時についた血でした。台無しになったメモを新たに書き直します。一番大事なメモ,《僕の記憶は80分しかもたない》と。そうして博士は自分だけに聞こえる小さな声で,それを読み上げました。《僕の記憶は80分しかもたない》。

この小説は,数学を教えるすべての人が読むべきものではないでしょうか。教える側も,教わる側もすぐに結果を求めてしまう教育よりも,考える楽しみや自分で答えを導いたときの喜びといった感動がある授業あるいは対話が必要なのです。数学の奥深さを押しつけるのではなく,考え方をどうやって導いていくのかということを博士は教えてくれるのです。  

05/01/01
名前

子供の頃,友達になる一つの証として名前を呼び合うことがその徴 -しるし- になったように思えます。他愛のないことのように思えるかもしれませんが,お互いの名で呼び合えることが友達という関係の始まりだったのでしょう。名前はそれぞれが持つ大切な自分を表す証になります。

子供が生まれると,あるいは生まれる前から,親はわが子の名前を考えます。その名前には,子供に対する親の思い,すなわち子供の成長や将来への気持ちが強く込められていることでしょう。日本語の場合,漢字には一文字ごとに深い意味があり,それだけに名前には単一的ではない意味合いが含まれることになります。ひらがなやカタカナをあえて使うのは,漢字を使うのとはまた別の思いが込められているのでしょう。親から子ばかりではなく,ペットにも名前を付けます。拾ってきたイヌや,ついてきてしまったネコ,夜店で買ったカメなど,飼い始めると同時に名前を付けることでしょう。名前を付けることにより,彼らに愛情を注ぐようになり,やがて生活の一部として存在し始めることでしょう。名前は個人だけのものではありません。いわゆる『役』付けというものに意味をなすものもあります。クラブ活動などで,まとまりのないときに問題のある生徒にあえてリーダーを任せて,自立を促したという話を聞いたことがあります。作詞をしたときに,楽曲に曲名を付けることも,その曲に命を吹き込む作業になります。

高校生のときの体育の先生は,1000人を超える生徒一人ひとりの名前を覚えていました。体育の先生の教官室には,全校生徒の名前と顔写真のボードが置いてありました。教わっていない先生に,廊下ですれ違うときに名前で呼んでもらうことは,生徒にとっては嬉しいことでしょう。「そこの君」と呼ばれるのは味気ないものです。塾でも,普段授業を受けに来ている生徒はもちろんのこと,講習時にしか受講できない生徒に対しても,直接教えているとか,教えていないとかに関係なく,顔を合わせたときには名前で呼ぶように心がけています。名前は大事なものだから。

太古の昔,名前は最も秘するべきものだと考えられていたようです。人々は名をあかすことにより親しくなったのではないでしょうか。