12/12 理解・記憶・創造の教育 11/11 ことわざの中の動物 10/10 三角形の第六心 09/09 防火管理責任者 08/08 20人学級 07/07 池田小学校 06/06 成績開示 05/05 携帯電話と豊かな国 04/04 エントリーシート 03/03 平面幾何 02/02 睡眠 01/01 継続は力

01/12/12
理解・記憶・創造の教育

高校や大学には「建学の精神」というものが大抵あります。建学とは『今までになかった学校を新たに作ること』(三省堂・新明解国語辞典)とされています。自分の出身校の「建学の精神」はご存じでしょうか。そこには学校を作ろうと考えた人たちの並々ならぬ情熱や意志があったことと思います。いくつかの私立高校や大学の案内を見てみました。中には100年を越す歴史を持つ大学もありましたが,最近の傾向としては国際化に対応できる学生の育成や,21世紀を迎えこれからの個性をどう生かすか,といったことが取り上げられ,「建学の精神」を探すのに苦労する学校もありました。これも時勢なのでしょうか。

塾にも「建学の精神」とまではいかないまでも,何を目指しているのかを示すことばがあります。第一教育センターでは『理解・記憶・創造』の教育を目指しています。実はこのことば,昔は順番が違いました。『記憶・理解・創造』の順になっていたのです。けれども,学習する順番として,まず物事を観察したり,調べたりしてそれを理解した上で次の段階に進めるのではないでしょうか。記憶から入る学習を否定するわけではありません。それに,何かを創造するところから始まることだってあるはずです。ところが,残念なことに,最近の生徒達の勉強方法は記憶中心のものになっているように思われます。学校の試験に出るものしか覚えなかったり,授業の最中に細かいところまで気にして,その教科自体を学ぶ楽しさを知らずに,ひたすら記憶していくことに専念するようになってきました。第一教育センターで試験前に行っている数学特訓も,確実に数年前よりも一日に解ける問題量は減っています。塾へ来る生徒や親の希望することはやはり成績向上が第一です。そういった制約の中,出来る限り興味を持たせられる話題をつくっていきたいと考えています。そして,創造する楽しさを体現できる手助けに,少しでもなれればと思います。 

01/11/11
ことわざの中の動物

「犬も歩けば棒に当たる」,「馬の耳に念仏」,「猫に小判」。どれもよく知られていることわざです。ことわざの中には,動物が登場することがよくあるようです。『ことわざ』をいくつかの国語辞典で調べてみました。現代国語例解辞典(小学館)では,「昔から世間に言い習わされた言葉で,教訓や風刺などを含んだ短句。〈こと〉は〈言〉,〈わざ〉は〈業〉」とあります。新明解国語辞典(三省堂)では「その国の民衆の生活から生まれた,教訓的なことば」と記されています。小学生用の辞典のチャレンジ国語辞典(福武書店)には「昔から言い伝えられている,教えやいましめなどの意味を持った短いことば」とあります。さて,一番目と三番目の辞典にはどちらも「昔から」という語句が出てきます。しかしながら,この定義は今ひとつ曖昧に感じます。まず「昔から」とありますが,どの時点から前が「昔」で,どこからが「今」なのでしょうか。そうなると,新しいことわざができるには,そのことわざがある程度の月日に堪えたあとでないと認められないのでしょうか。まあ,それはひとまずおくとして,ことわざには教訓的なこと,もしくは風刺が含まれることが必要なようです。

最初に取り上げた「犬も歩けば棒に当たる」は「じっとしていれば何もないのに,出しゃばると思いがけない災難に遭う」という教訓がある一方,「出歩いていると思いがけない幸運に出会うこともある」と,いい方に解釈されることもあります。その他のことわざもそうなのですが,ことわざに登場する動物は,結局は擬人化されたものだと考えられます。当然,ことわざの中に登場する動物そのものに対する教訓ではないはずです。そうなると,風刺や教訓の対象となる動物たちは,人間から見てさげすまされていることにならないでしょうか。そうだとすると,それほど人間って偉いものなのでしょうか?有史以来,戦いは絶えることなく,最近では暴力的なシーンが普通の生活の中に飛び込んできたりします。この人間達の愚行。動物たちからは,広い宇宙の中や長い歴史の中で人間なんて「井の中の蛙」で「馬鹿につける薬はない」,と見られているのではないかと感じるのは「杞憂」なのでしょうか。 

01/10/10
三角形の第六心

三角形には五心があります。内心,外心,重心,垂心それと傍心です。傍心以外は中学校の数学で教わります。傍心も,数学Aの平面幾何で学習します。垂心までの四心を求める作図は,三角形の第六心中学の数学で教わります。作図するときに使えるのは,線を引くための定規とコンパスだけです。ここでいう定規は,目盛りの入ったものではなく,あく

までも二点間を結ぶためだけのものです。作図は数学の中でも代表的な幾何学の基礎なのですが,内心,外心,重心,垂心すべてを正確に描ける生徒はそうそういません。外心や垂心は三角形の外側にあることもあります。また,傍心に至ってはその存在さえも知られていないことが多いのです。  その一方で,中には三角形の第六心を考えている人もいます。三角形の第六心とは,三角形の内部の点から各頂点を結んだときにできる3つのすべての角が120度となる点です。こういった点が存在することは証明されています。また,作図の仕方もすでに分かっています。けれども,大事なことは教科書から抜け出せる新しい発想だと感じます。常に与えられたものだけに目を向けるのではなく,自らの視点でものを見る力は図形とか数学だけに限ったことではなく,勉強や仕事に対しても同じことが言えるのではないでしょうか。

01/09/09
防火管理責任者

塾で使っている教室は,東中野教室も八王子教室もテナントとして借りています。八王子教室は三階を借りていて,大家さんが一階で営業をしています。東中野教室は,マンションのワンフロアー全部を借り切っています。借りているとはいえ,不特定多数が出入りする可能性のある塾としては,防火管理責任者が必要になります。数年前に,甲種防火管理責任者の資格を取りに,消防庁の講習を受けに行きました。資格といっても,この講習を二日間受講すれば,通常誰でも取れる資格なのです。講習の一日目には,「防火管理の意義と制度の概要」とか「火災の現象」の他,「消防用設備等の操作要領」では,実際に消火器を使って練習をさせてもらいました。一講座の時間は50分から90分で構成されています。二日目は「地震対策」や「自衛消防」といった,安全管理に関する講座が中心で,最後に「防火管理の進め方と消防計画」という講習があり,そのあとで二日間の簡単な「効果測定」という試験が行われました。特に,試験結果で資格がどうこうなるというものではありません。

普段は授業を教える立場なのですが,こうして受ける側になるのもたまにはいい刺激になりました。受講者は,全部で40名くらい居たと思うのですが,二十歳台くらいの女性から,六十過ぎの男性まで年齢層は様々でした。講習は午前9時から午後4時30分くらいまでで,終わってから仕事に行く人もいるようで-塾も当然のことながら夕方から授業があります-講習中はうつらうつらしている人も結構見かけました。学校と違って,そのあたりの事情を知っているのでしょうか,消防庁の講師の方も注意して起こすようなことはしませんでした。講習での講師の方が言っていた,「火事が起こってからの対処も大事ですが,火事が起こらないように普段から注意を払うことが大切です」という言葉が,心の中に残っています。

01/08/08
20人学級

文部科学省が発表した「21世紀教育新生プラン」の重点戦略(レインボープラン)の中で,学校での基本的教科におけるクラス人数を20人で編成したり,習熟度別授業の実現があげられています。現在の私立学校でも存在しますが,一昔前は公立の学校でも40人学級や45人学級などが当たり前のように設置されていました。私立校と異なり,公立校は中学までは入学試験で選抜されているわけではないので,児童・生徒の教科に対する習熟度に差が出るのは当然のことです。小学校にいたっては,中学受験を目指して進学塾に通っている児童と,特に受験など意識せず,そのまま公立中学校へ進むつもりの児童とでは,その差は歴然としています。そんな状況で,一人の先生が40人近くを相手に,しかも多教科を教えることは,もはや限界に達しているのではないでしょうか。学級崩壊が起こるのは火を見るよりも明らかです。

だからといって,すぐに全ての学校で20人学級にしたり,1学級に2人の先生を配することは無理なことでしょう。先生の数が足りなかったり,また,単に増やせばいいというのなら,今度は先生の質に問題が生じることだと思います。学校の先生は,一般の会社などと異なり,新任の先生への研修が不足していることが多いようです。実際に,大学を卒業して一年目から担任を持たされることもありますし,授業の進め方など教えずに,いきなり教壇に立たせる学校の方が多いのではないでしょうか。こういったことは,むしろ学校側,すなわち大人達の都合によるものです。本来の目的を鑑みるならば,学校で学ぶ児童・生徒本意に考えていくべきだと思います。クラス人数を減らすことにより,出会うかもしれなかった一生の友達が,ただの同窓生になるかもしれません。副担任制も,生徒側から見ると「先生によって言うことが違う」ということも考えられます。勉強も理解できれば学ぶ者にとっても楽しくなるはずです。それを導くのが教師の役目だと思います。 

01/07/07
池田小学校

大阪教育大学付属池田小学校で,殺傷事件がありました。亡くなられた児童のみなさまへご冥福を祈ると共に,残された遺族の方に謹んで哀悼の意を表します。二度とこのような事故が起こらないことを心から願っています。

さまざまな新聞やテレビなどの報道機関で報じられてきているので,このホームページをご覧になる方は事件の概要についてはご存じのことと思います。その上で,今回の事件について記そうかと思います。論じられることは多数あるのでしょうが,二つの点について記します。

まず,第一点は,今回の事件の責任追及です。最も重責を担っているのは,事件を起こした容疑者の担当医です。事件発覚後,担当の精神科医はその責任を負うような発言が無いように思われます。将来を,それもまだ十代を経験していない幼い命の未来を全て断ち切った責任は重すぎるのです。それゆえ,その責任を真っ正面から受けとめるべきだと思います。マスコミの矢面に立つのは辛いことでしょうが,やはりその義務があると思います。第二点は,心のケアです。児童へのケアは,慎重に考えられているようです。けれども,先生方への精神的なケアについてはどの程度考慮されているのでしょうか。被害にあわれた児童が小泉首相にメールで,先生方もかなりのダメージを受けていることを訴えていました。今回の事件で,生徒を守ろうとして刃物を素手で握った先生もいれば,どう対処していいか分からないうちに,事件が進行してしまった,と悔やまれている先生もいることでしょう。それゆえに,今をどう乗り越えていくのかと悩んでいる先生方が多数いることと思われます。  

今回,これを記すにあたって,検索エンジンで「池田小学校」を調べたところ,『平和の像』というサイトがヒットしました。こんなときに平和?などと思いながらリンクを辿ると,それは池田市立池田小学校のホームページでした。広島で被爆した石を使ったモニュメントの平和の像がそこにはありました。こんなに近隣の小学校で平和を訴えているのに,少し離れた小学校で起こってしまった悲惨な事件。一方,大阪教育大付属池田小学校のホームページには,花束が置かれているだけの画像しかありませんでした。何も語る気にならなかったのでしょう。 

01/06/06
成績開示

山形大学・工学部での入学試験の報道を見ると,入試採点ミスによる受験生の被った状況の悲惨さが,日に日に増していきます。今回の山形大学の入試採点ミスにより,大学入試をはじめとするさまざまな入学試験はもとより,普段の中学校や高校などの評価は,閉鎖的でそれらが正当に行われているのか,疑いの目を持たざるを得なく感じました。そういった意味では,入学試験の成績を開示したことにより,修正されたことは来年度以降,同じ悲劇を繰り返さなくなったということだけがせめてもの救いです。

けれども,将来の希望を失ったり,回り道をさせられた400名を越える受験生には,どんな補償をしたところで,決して報われるものではありません。以前,大学に進学した卒業生が遊びに来たときに,アルバイトに明け暮れて,本来自分がしたいと思っていることが出来ていない,ともらしていた学生がいました。先立つものが無いとしたいことも出来ない,と言うのです。でも,金銭的なものなど,あとでどうにでもなるけれども,時間はどんなにお金を払っても決して戻らない,と諭しました。今回の人為的ミスによる入学試験によって,失われた時間はやはり戻ることはありません。運命といってしまうには,あまりにも残酷で切なすぎる現実です。そんな中で,山形大学・工学部の先生方が,支援基金を設立したことは,当たり前といえばそれまでですが,迅速な対処だったと思います。けれども,報道ではあまり取りざたされていませんが,本来の合格者への補償の捻出についても,大学側は責任を持って公表するべきだと思います。 

01/05/05
携帯電話と豊かな国

携帯電話の普及率は周知のことと思います。その出荷台数は固定電話を凌ぐものとなり,大学生は当然のこととして,高校生,中学生でもかなりの生徒が持っています。今や,小学生が街中で使っているのも珍しくない光景となりました。確実に情報化社会は進み,それだけ様々な場面で生活は豊かになっているのかもしれません。

以前,事務機器のセールスで,営業の方が来たことがありました。20代後半か30歳くらいの青年で,営業用の電話機の売り込みに来ました。彼は携帯電話を2台持っていました。月末に来たせいもあってか,とにかく一台でも多く売りたかったようです。おおよそ30分くらいの間に彼の携帯は3度ほど鳴り,また彼からも2度ほど上司に電話をしていました。受話器の向こう側からは,賑やかそうな騒音と,上司の怒鳴るような声が漏れていました。便利なはずの携帯電話ですが,その存在によって,青年は単に会社に縛られている操り人形のように思えました。見ているこちらの方が何だか辛い気分になってしまい,結局はそこの会社とは契約しませんでした。する気になれなかったのです。

携帯電話の弊害はまだあります。電話というよりは,メールによる弊害です。中学生や高校生の勉強の妨げになるものは,少し前まではテレビやラジオ,ゲームや漫画,それと楽器などが代表的なものでした。女の子の場合は長電話もその一つに挙げられました。今はメールの料金が通話のそれよりも安いこともあり,通話ではなくメールで連絡しあうことが多いようです。どんな時間にでも送れて,それほど重要でなかったり,それほど親しくなかったりする友達にも遠慮なくメールを送っているようです。それに対して返事を出さなかったりすると,“関係”にヒビが入るとか入らないとか。携帯電話がこれほど急速に広まった現在,まだそれを使う側が経験不足のため,便利なはずのものが足かせになることもあります。本当の意味での豊かな国と,今の日本はほど遠いと考えています。

01/04/04
エントリーシート

塾には学生の講師もいます。大学4年生にもなると,大学院に進学しない限り就職活動をします。以前は就職活動といえば履歴書を書いて,会社訪問をしたり,大学OBへの表敬訪問をしたりするのがごく普通だったと思います。塾のOBで講師をしている学生がいます。就職活動は4年からではなく,3年生の中盤から終盤にかけて始めるのだそうです。最初の難関が,エントリーシートで,会社ごとで定型がありそれに履歴と志望理由などを記すようになっています。この定型が会社ごとで異なっているため,一昔前の履歴書を書くという作業よりも大変なようです。エントリーシートの内容によって,最初の面接に進めるか否かが決まる場合もあると言っています。

不況の波は,高校生の進路先にまで影響が出ています。大学へ進学するときの指標の一つに,卒業後の就職率やどういった職種あるいは企業に就けるのかを気にする生徒や父兄が増えてきました。将来を見据えて考えていると捉えるといいのかもしれないのですが,大学で何を学びたいかを語らず,就職までの一つの通過点として大学を考えているようにも思えます。大人でさえ先行きの読みにくい今の世の中に,敏感に反応してしまう生徒達。一個人や一企業レベルで解決できないほどの現在の経済状況。“そんなに心配しなくてもいいんだよ”と言える,そんな世の中に変えていく義務が,大人達にはあると思います。

01/03/03
平面幾何

現在の課程になってから,高校の数学Aには「平面幾何」という分野が扱われるようになりました。平面図形を学ぶのですが,他の数学の分野とは少し内容が異なり,あまり計算を必要としません。したがって,数学が苦手な生徒でも平面幾何だけは出来るということもあります。昔もこういった分野を扱っていた時代もあり,その頃も同様なことが言われていました。図形は三角比やベクトルだけではありません。高校受験をして入学してきた生徒で,時々“チェバの定理”や“メネラウスの定理”を用いて,サッと解いてしまう生徒がいます。どこで教わったのか聞いてみると,高校受験のときに行っていた塾の先生に教わった,と答えます。この平面幾何は,平成15年度からの新課程でも扱われることが決定しています。

ところが,平面幾何を取り上げている学校が実際にはあまり見あたりません。原因として考えられるのは,一つは現役の先生自身が教わったことがないこと,それゆえまずは自分で学ばなければならないことになります。もう一つは,定期試験などで採点するとき,証明とか論述部分が多く,採点に手間が掛かることが挙げられます。けれども,国際的にも数学の学力が下がっていることや,大学生の数学力の低下が指摘されている現在,こういった分野を扱うことは,数学に興味を持たせられるいい機会だと思います。高校の授業で,平面幾何をどんどん扱って欲しいと願います。中高六カ年教育なら,中学で扱うのもいいのではないでしょうか。お父さんやお母さん方も,子供の教科書を借りて一度解いてみることをお勧めします。 

18/02/02
睡眠

人の睡眠サイクルは通常90分周期です。浅い眠りと深い眠りが周期的にやってきます。一般に,夢を見ているときはレム(rem)睡眠といわれます。rapid eye movement の略です。すなわち,速い眼球運動を行っているときで,眠っている人のまぶたが動いているときがそのときです。脳は起きているときの状態に近いのですが,体は眠っている状態のときです。一晩の中で,このレム睡眠は4,5回やってきます。したがって,眠っている間にそれだけ夢を見ていことになります。レム睡眠の長さは,睡眠時間と共に長くなってきて,目覚める前のレム睡眠は,30分を越えます。それだけ長い夢を見ているというのも何だか不思議な感じがします。睡眠は科学的にかなり研究されていて,そのメカニズムを知ることによって,快適な目覚めを迎えることができるのです。

試験が近づくと,生徒は睡眠時間を減らして,いわゆる一夜漬けのような勉強をすることもあります。けれども,全く睡眠をとらずに試験に臨むのもあまり勧められたことではありません。また,試験中は一旦寝てから勉強をする生徒もいます。そんなときは,90分単位で眠るようにアドバイスします。90分の倍数だけ眠るようにすると,目覚めが良く,その後の勉強も頭に入りやすくなるのです。ただし,これがベストというわけではありません。例えば,肩こりの治し方についても,便秘の対処の仕方にしても,そして睡眠の取り方についても,人それぞれで,これが特効薬,などというものはありません。だから,他人の対処法はあくまで参考にする程度がいいでしょう。勉強も同じことです。人の勉強法は取り入れてもいいのですが,それを自分なりにアレンジすることが大切です。 

01/01/01
継続は力

保護者と面談をしている中で,当然普段の家庭での学習のことが話題にのぼります。結果的には「本人のやる気しかない」とおっしゃるお母さんが多いのです。諺にも「馬を水辺まで連れていくことは出来ても,水を飲ませることは出来ない」といったものがあります。飲む気のない馬を水辺に連れていくのも,やる気のない子供を勉強部屋に追い払うのも似たようなものです。どうしたらやる気を出させることが出来るか,実はこれは単に勉強に関することだけではなく,また子供とか大人とかの区別なく,人間にとっての永遠の命題だと思います。やらなくてはいけない仕事でも,締め切りまでに時間的余裕があるとつい後回しにして,「そのうち出来る」などと思っていると,締め切りの時間に追い込まれ,ぎりぎりで終わらせたような経験はないでしょうか。

大多数の生徒の試験前以外の勉強時間は限りなく0に近いのが実情です。だからといって,生徒自身のやる気を待っているだけではあまりにも頼りなさ過ぎます。そんなとき,まず,毎日20分でも30分でもいいので勉強する時間を作ってもらいます。この段階では生徒自身と母(父)親,そして先生の三者で確認(=約束)をします。そして,毎日の勉強は一学期間必ず一つの教科だけを継続して行うことにします。よくやる失敗は,日毎に教科を変えて勉強する方法です。最初の一歩は短くても,確実な一教科を毎日行うことです。それが出来るようになれば,今度は20分を40分に,一教科を二教科に増やしていけばいいのですから。継続は力に必ずなります。今年一年も継続力を持ち続けて下さい。